とぐろ巻き日記

今年は忍者も使います。mtg のブログ

20220721_ヴァイオレットエヴァーガーデン(TV版)を観ました

約1年ぶりの記事更新でお久しぶりです。

マジックはMTGArenaを中心にたまに行っていましたが、去年末から今年にかけて、2021年の総括と2022年の目標なんか書いていた記事が完成しないまま今になりました。

世間は感染者数が増えても以前ほどピリピリとしたムードは無くなりましたが、それとは関係なく紙の大会に出る環境も時間的余裕もありません。(また少なくなったとはいってもどうしても怖さのようなものはあります) 紙のマジックをしたいなあと常に頭のどこかで思いつつ生活している今日この頃です。

 

さて、普段アニメを集中してみることはないのですが、以前から観たいと思っていたアニメがあったのでGEOでレンタルしてまとめてみました。想像していたよりもかなり心に刺さるものがあったので、MTGのブログにもかかわらずアニメの感想を書いています。感想自体は陳腐で語りつくされたことであるとは思うものの、自分の中での消化を目的としていますのでなにとぞなにとぞ。

ヴァイオレットエヴァーガーデンは、京アニが2018年に作成したアニメです。数年前に起こった放火事件の際に名前が少し上がっていたのを覚えています。

 

あらすじ

感想を述べる前に以下に、Wikipediaのあらすじを引用します。

4年間にわたる東西南北による大陸戦争が終結。その戦場で「武器」と称されて戦うことしか知らなかった少女・ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、激化する戦場で両腕を失い、自在に動く義手を付けることを余儀なくされる。

退院したヴァイオレットは、ホッジンズの下で、自動手記人形としてC.H郵便社で働きはじめる。ヴァイオレットにはかつて戦場で誰よりも大切な人・ギルベルト少佐がいた。最後に聞かされた「愛してる」という言葉が理解できなかったヴァイオレットは、仕事と日常を通じて人と触れ合いながら、その言葉の意味を探していく。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン - Wikipedia

 

ということで感想。アニメは13話+OVA1話の計14話。現在そのほかに外伝と劇場版がありますがそちらはまだ観ていません。すぐにでも観たいところではありますが、このタイミングでいろいろと感想をまとめてから臨みたいと思っています。

 

物語の構成

さてこの物語は大きく3つのパートに分かれていると考えています。主人公であるヴァイオレットが郵便社に入社して自動手記人形を目指すまでの話(1~3話)。自動人形としてある程度独り立ちし、様々な場所へ赴き代筆業を行う話(4~10話)。そしてかつての上官ギルベルトの兄であるディートフリートとともに要人を和平調印式まで送り届ける大陸横断鉄道の話(11~13話)です。各話の中でもヴァイオレットの成長というのは描かれていますが、この3つのパートの前後でヴァイオレットは人として大きく成長しています。

さらに全編を通して差し込まれるのが、戦争中にヴァイオレットが「武器」として扱われていたころのギルベルト少佐との回想です。話が進むにつれて戦争でなにが起こったのか、ヴァイオレットがなぜそれほど少佐のことを想っているかといった理由が明らかにされますが、同じシーンの回想であってもそれらはすべて異なる見え方をするものです。私としてはこの回想が違った見え方をしていく様の描写がこのアニメのすごさであると考えています。(もちろん、京アニ制作なのでもともとの絵のクオリティやカット割りといったアニメとしての質が高いこともすごさではあります)

物語を描く手法としてこのようなものは以前から存在し、目新しい手法とは決して言えませんが、ことヴァイオレット・エヴァーガーデンにおける一つのゴールはヴァイオレット自身が1話目から話している通り、少佐が残した「愛してる」という言葉を彼女自身で理解することです。戦場の記憶が、自動手記人形という現実の仕事によって意味を得ていき(=変容していき)、最終的に一つの事件と過去の問題を同時に解決することは大きなカタルシスでした。

このアニメを見ながら思い出した映画がありました。『ダンケルク』という2017年公開のクリストファー・ノーランが監督した映画です。この映画は第二次世界大戦で実際にあったダンケルクの戦いを3つの視点で描きます。1つ目はダンケルクから脱出を試みるイギリス兵の視点(陸)、2つ目はダンケルクへ救援へ向かう一般市民の視点(海)、3つ目はスピットファイヤに乗って兵士の脱出を援護するパイロットの視点(空)です。特徴的なのはこれらの視点の時間軸が異なることで、兵士は1週間、市民は1日、パイロットは1時間の出来事がそれぞれスライスされながら物語が進みます。映画は最終的に同じ時間軸に収斂してクライマックスを迎えるわけですが、いままでそれぞれ異なっていたストーリーが一つに重なる瞬間は、BGMとあいまって最高です。

私がこの映画を思い出したのは、時間軸が収斂していきながら物語がクライマックスを迎える流れをヴァイオレット・エヴァーガーデンでも感じたためです。ギルベルトの言葉を理解することと、自動手記人形の仕事を通じて「武器」から「人」へと成長することは、自動手記人形として動き出した彼女の時間と、戦場の「武器」であった彼女の時間が物語の最後で重なるかのようです。

そういう意味でこの物語の後に展開されている2つの作品。特に劇場版がどのような話となるのかには、不安もあります。アニメ版を最後まで見た時点で作品として完成しているのではないだろうかと思うためです。ここから一体何を描いてくれるのか、期待あり不安ありで楽しみで仕方がありません。

 

10話「愛する人は ずっと見守っている」

構成の話に終始しても何ですので、個別の話の感想を少し。

おそらくアニメを観た人たちにとって最も心を動かされたのは10話ではないでしょうか。登場人物のなかで現状を理解していないのは子供であるアンのみ(アニメを見ている側の我々ですら、母クラーラが相続の話をしているシーンで状況を理解させる作りになっていました)で、それを隠しながら50通の手紙を完成させる母の子を想う気持ちは、シーンのどこを切り取っても伝わってくるようでした。

クラーラの死の後、誕生日に手紙が届くようになってからの描写は普通にだばだば泣いてました。こんなに泣いたのは久しぶりだと思います。

どうやら私は親子の別れを描いた作品に弱いらしいな、と思いながら見ていたのですが、これをみるに弱いのは私だけではなかったようです。

検索するたびにチラチラと見えていましたが、観てから意味が分かりました

結びに

私は好きな映画に挙げるのは『ダンケルク』『ライフイズビューティフル』『攻殻機動隊 Ghost in the shell』と決めているのですが、こうして振り返ると10話はライフイズビューティフルばりに微笑み号泣感があるので、実質ライフイズビューティフルでした。そしてよくよく考えるとヴァイオレットが爆弾を壊すために義手を引きちぎるシーン、あれは素子が多脚戦車のハッチを開けるシーンです(あっちも義体ですし)。

……私がヴァイオレットエヴァーガーデンにこれほどまで惹かれた理由が見えてきました。

話が変な方向へ転がる前にこの辺りで終わりとさせていただきます。なんとか三千字。外伝と劇場版を観たらまた感想書きます。